原発村のスター

 博士は「私は被曝2世です。でもこうして元気です」と始め、スクリーンをちらりと振り返っていった。

「『長崎の鐘』の永井隆は、この悲惨な状況の中で、8月,9月、10月と医療支援を行いました。『この惨禍の中で、科学の力、原子のエネルギーで平和の国家を作るのが日本人の使命だ』と書いています」

 永井隆って誰? ぼくは経済系の作家の永井隆ならば知っているのだが、『長崎の鐘』の永井隆は知らなかった。あとから調べると、長崎医科大学の先生で放射線の研究家で、その研究の過程で被曝して白血病になったところを、原爆でとどめをさされたらしい。医者なので救護活動をしながら『長崎の鐘』、『この子を残して』などの著作を残し、被曝の影響で43歳で逝去している。

 博士は同じ長崎出身で被爆者で放射線の研究者なのだから、その跡を継ぐ者とでも考えているのだろう。さっそく、チェルノブイリでの疫学調査の経験を述べはじめた。

チェルノブイリの大爆発は1986年4月26日です。これは核爆発。あらゆる核種が飛び散りました。政府は爆発のあとも放射能の危険についてはっきりいわず、5月1日はメーデーでした。さあ、どうしたか? 子どもたちもマスクもなしに行進したんです。まだヨウ素半減期になっていない。しかも情報が行き届かずに汚染されたミルクまで飲んでしまった。その子供たちの運命やいかに?」

 彼は間をとってから、少し小さな声で抑揚をつけていった。

「私は91年にベラルーシに入って調査を開始しました。調べてみると驚くべき事実です。ベラルーシの子どもの甲状腺がんが25年で100倍発生するようになったんです。10万人に一人の発生率が、千人に一人に。幸い甲状腺がんは癌の中でも大人しい。切除すれば治るんです。放射性ヨウ素131の半減期は8日です。今もうヨウ素はもうありません。残ったのはなんでしょう? みなさんわかりますね。今こそ科学を勉強するいい機会です。

 そうです。セシウム137です。今、福島はもう放射線ヨウ素131は半減期を過ぎました。気をつけるのはセシウムです。でもご安心ください。ベラルーシでは25年の間、汚染されたきのこ、イチゴ、野采を食べ続けています。体内に500〜5万ベクレルものセシウムをもっています。セシウム満タンのサイボーグ。でも、なんの疾患もありません。知識があれば不安などないのです」

 ぼくが今日のために目を通した書籍とはいっていることがまったく違う。

 博士は机の上のペットボトルを手にして、薄桃色のジュースをごくっと飲み、一呼吸おいて、「さて、福島」と続け、まるで物語のクライマックスに到達したかのようにたたみかけた。

「この日本に、わが祖国に、まったく予想だにしない事態が発生しました。3月12日から、1号炉、3号炉、2号炉が、どかーん、ぴか・どーん、ばーんと爆発し、放射能を飛び散らせたのです。未曾有の事態。そして、なんとなんと、最後は寝た子も起こす4号炉! 水素爆発で飛び散ったヨウ素131やセシウム137は、福島県に襲いかかる。福島の運命はいかに…?」

 会場はしーんと静まりかえった。まるで下町の紙芝居のおじさんの語り口。博士はにこりと笑って続けた。

「みなさん、ご安心ください。わが祖国は、チェルノブイリと違うところがあります。日本の素晴らしい科学技術はみごとに制御棒を入れ、原子炉を止め、今も完全にコントロールに向けてがんばっています。核爆発の大惨事にすることなく、この4つのおんぼろ原子炉を制御しています。すごい!
 放射性物質の拡散はチェルノブイリのたった100分の1です。すばらしいことです。すでにヨウ素131は半減期を過ぎました。残ったのはセシウム137です。それは何の影響もありません」

 ぼくは博士の話しぶりの異様さとともに、彼の左右の耳が時折、ぴくぴくと上下に動くことに目を見張った。

「さて、福島の住民です。10キロ圏避難、20キロ圏避難、30キロ圏屋内退避、日本政府は賢明でした。もうヨウ素131の危険は去りました。ヨウ素剤を飲むような必要はありません。出荷禁止になった野采が出ましたが、市場に出ているものは何ら問題ありません。きちんと政府がコントロールして測っています。

 汚染されたものを飲み続けることはない。だから降下物の影響は皆無です。急性被曝と低線量の影響は違う。100ミリシーベルトよりも放射線量が少なければ、まずもって健康被害はない。病気の人と運の悪い人、つまりDNAの変異を犯しやすく、修復できない場所に放射線が当たったわずかな人だけが、癌になります。タバコの影響のほうがずっと大きい。大切なことをいいます。笑ってへらへらしている人に放射能の影響はありません。動物実験でも確かめられています。牛乳も水も大丈夫です。さあ、みなさん、へらへらと笑いましょう」

 聴衆は無理に作り笑いを浮かべていた。なんだか、ネット上で御用学者といわれる人たちの中でも、最高勲位にいる御用学者、まるで御用学者の星だ。すでに野采のいくつかは出荷制限がかかっているし、水道水にさえヨウ素131が大量に混ざっているのが現状。

 いったい、どういうことだろうか?

 ちらりと横を向いて愛ちゃんの表情をうかがった。彼女は何か口の中でぶつぶつとつぶやいて、唖然とした表情で山神博士に視線を向けている。ぼくは、気のせいかもしれないが、「邪悪な宇宙人」という彼女の言葉を聞いたように思った。
 何だ、邪悪な宇宙人って?
「さあ、海はどうでしょうか? 我らが母なる海はその美しさを保ってくれるのか? 放水をすれば汚染水が溢れる。その水は海に捨てる。想定内のことです。放射能は海が希釈してくれます。大丈夫。海を心配することはありません。巨大な母なる海です。夏には優しく受け入れてくれるでしょう。ぶくぶく潜水してもだいじょうぶ。さて、陸。飯館村は少し高いかもしれない。でも、人口の多い福島市郡山市はたいした線量ではありません。マスクなど不要。子どもは外で遊んでください。むしろ風評被害による、人心荒廃、経済の破壊に気をつけましょう。無知から悪戯に怖がってもしょうがないのです」

 博士はまるで宗教家か、政治家でもあるかのように、声を高くして聴衆に呼び掛けた。

「さあ、みなさん、救うべきは福島です。福島に気配りして、お手伝いの手を伸ばしましょう。福島を支援しましょう。もう世界は福島、福島です。1にも2にも福島、3、4がなくて5に福島。お金もかけずに歴史に名を上げ、注目を浴びたのです。AKB48よりも有名。広島や私の長崎はもう過去の人、負けました」

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 上記も、「愛! フクシマの黙示録」第4話からの転記である。さて、この博士のモデルは、私のブログを以前から読んでいる方は誰だかよくわかるだろう。
 なぜ、おさらいしているかというと、日本財団が9月11日ー12日にかけて、福島県立医科大学でかたよった考えの世界中の放射線学者を集めて、「放射線なんて怖くない」というセミナーをやるからである。
 本ブログはまれに記者の方も見てくれているらしいので、もし取材されるならば、今回は専門家の言葉を紙面に垂れ流しにしてもらいたくない。
 たとえば、現在、長崎大学植民地福島県立医科大学の副学長になっている山下俊一教授らのベラルーシ疫学調査笹川平和財団)にはこのような但し書きがある。

「ただし、本プロジェクトはもともと被災者に対する人道的支援を目的に開始されたものであり、検診対象児の選択は原則として現地の担当者に一任されていて、任意抽出的に選んだわけではないので、検診データについてはこの意味での偏りが存在しうることをつけ加えておきたい」
 疫学調査にこのような但し書きがあるのは、まれなことである。よほど健康な子供たちが選択されたのだろう。

 さらに、86年-91年の旧ソ連チェルノブイリの疫学上のデータはすべて信じられない。原発推進派であり、反対派であれ、そのデータをそのまま使って、放射線の影響、低線量被ばくの影響などのモデルを作っている学者たちがいるのだから、まさに土台が壊れた幻の学問というしかない。

 明日は、ぼくと放射線の著名な学者との対話を掲載する。それを見ると、どれだけ放射線学が頼りないものかわるだろう。