ルーブル美術館と食とテロリスト(1)

ルーブルに行ってしまった
 ルーブル美術館のような大御所といっていい場所は、ぼくには敷居が高い。だから、ポンピドーセンター、ピカソ美術館、オルセー美術館などは訪れても、ここはいままで敬遠してきた。

 若いころ、美術関係の仕事にほんの短期間従事していて、ルーベンスの絵を3億円で西武の堤清二に販売する仲介をした覚えがある。絵の題名も忘れた。ルーベンスは弟子たちと工房で作っているので、果たしてルーベンスのものかどうか、いつものことだが、幾分問題となったと思う。古典は、光と影のレンブラントゴヤの一連の黒い絵(我が子を食らうサトゥルヌスルーベンスも描いているが、狂気の質も作品の完成度も全く違う)、などを除いて、親近感がない。フランスに住んだ画家たちで、好きなのは後期印象派の人々だ。


 それでも、同時多発テロから2か月とあって、すいているだろうと予想していたが、入場の前の列の長さは、案の成、いつもの半分もない。知人から教えれもらったミュージアムパスも買っている。今回を除いて一生のうちルーブルを訪れることは、ないだろうと思い、足を向けた。
 雨が降っているし、体の芯が凍りそうなほど寒いので、いずれにしろ美術館か映画館に行くほうがよい気候なのである。

しょせん人間は首狩り族
 本来律儀なぼくは広大なルーブルの中を足をぼうにして3時間ほど歩き回った。関心したのは、美術品ではなく、ナポレオン三世の超豪華な部屋だ。もともとアフリカを中心(アジアではベトナム)に彼が植民地を拡張したのだから、今のテロの遠因を作ったともいえる。


 もうひとつ目を引いたのは、やはり人間は首狩り族に過ぎないと思わせる絵との出合い。このフランスから遠い遠い南太平洋のガダルカナル島の一風景を思い出した。そのとき、同島の水産関係の次官らと食事をしていた。かれは「われわれは食人種だ」と肉をほおばりながら、目をらんらんと輝かせていってきたので、ぼくも目をらんらんと輝かせて「なに、日本人の我々は首狩り族だ」と戦国時代の武将よろしく、刀できゃつの首を狩る動作をしたのだった。
 考えると、フランスは苦痛を和らげる人道目的だというギロチンで有名で首狩りの本場だし、テロリズムの語源も確か、フランス革命からきている。テロの本場なのだ。
 そんなことを考えたのも、この日、早朝からぼくは駆け足で、テロの現場3か所とその追悼の中心地を回ってきたからだった(続く)。