チェルノブイリと福島での小児甲状腺がんの真実

山下教授が参加した旧ソ連でのフィールド調査の結果をさがしてみた。(筆者は若い時に笹川平和財団から原発被害支援関連で、ベラルーシ行きを打診されたことがある)。 インターネットでアクセス可能だった。チェルノブイリ原発事故被災児の検診成績チェルノ…

3.11と偽情報

戦争・大災害時、あるは激しい政争がある時には、さまざまな情報が錯綜し、偽情報、デマも流れるのが常だ。 だがマスコミにもましてや庶民にはどの情報が事実かを判別するのは極めて難しい。あるいは分かっていても何かを慮って真実を表に出さない。 では、…

日本人もマスメディアもなぜこんなに謙虚なのか?ートランプのアメリカ大胆予測 採点ー

トランプのアメリカ大胆予測 採点 さて、安倍ートランプ会談も終わり、マイケルフリンも辞任したようなので、2か月前に私自身のトランプのアメリカを予測した結果を採点して みようかと思う。 まだ結果が出ていない点もあるが、いまのところ自己採点だが90点…

トランプに故チャべスの亡霊を見るーアメリカ大胆予測ー

不満渦巻く社会に突如現れる天才パフォーマー。選挙の合い言葉は、過去を取り戻す!人類が何度も見てきた光景のひとつだ。それは歴史の仇花なのか? トランプ主義とアメリカの行く末を占ってみた。 トランプが地滑り的勝利をする。私はそう確信した(後出し…

カストロ死す

日本に戻ってから、もう4ヵ月にもなってしまった。 今は次の書籍の準備で忙しい。 短信レポートはWedge Infinity で書いているので時々覗いてみて。 さて、カストロが11月25日に死去した。キューバは9日間、喪に服すという。そしてなぜか、いや、当然という…

ジカ熱か、疥癬か、それともベネズエラ病か?(5)

初老の大柄な医者は、問診をしたのちに、ぼくの上半身を見ただけで、自信たっぷりにいった。 「仕事がたくさんあって、ストレスがたまっていたのでは?」 「?」 ぼくはジカ熱の可能性を疑っていたので、血液検査をしろといわれるとばかり思っていたのだが。…

ジカ熱か、疥癬か、それともベネズエラ病か(4)

伝統治療しかない 「痛い!」 肩と首の皮膚がきりきり、ちりちりと音をあげる。塗っているのは、オレガノとニンニクを煎じた粉である。伝統治療以外に方法はなかった。2時間もしないで順番がきて、まるで教会の讒言の窓口のような注文口で、彼女がいくつかの…

ジカ熱か、疥癬か、それともベネズエラ病か(3)

下水溝から湧き出た汚水が道路を覆い、耐え難い臭いを放っている。路上はごみが散乱している。そして、案の定、薬局の前は価格統制商品を買うための人々の長い行列だ。 トイレットペーパー、紙おむつ、シャンプー、石鹸、小麦粉など身分証明書の番号によって…

ジカ熱か疥癬かそれとも、ベネズエラ病か?(2)

サンパウロでぼくの発疹に男たちが恐怖する 一度目はまだ20代で、本職のバックパッカーをやっていたころだ。症状が悪化したのは、ブラジルのサンパウロだった。はじめてだったので、体中にできた赤い発疹と叫びたくなる痒みが何に由来しているのかわからなか…

ZIKA(ジカ熱)か疥癬かそれとも、ベネズエラ病か?(1)

半生肉を食べる 夜、この街で一番というAsadorという肉専門レストランで、テンダーロインステーキを食べて家でソファに寝転がってテレビを見ていた。 一時間ほど後、突然頭全体が痒くなった。頭皮が痒いのである。それも叫びたくなるほどに。痒―い! 思わず…

ルーブル美術館と食とテロリスト(5)

ぼくは野菜がはいっているシシカバブーを注文した。店内にはずいぶん昔に見かけたか登ったことのあるタワーがある。きっとイスタンブールだ。聞くと店長らしい男が嬉しそうにそうだという。トルコ人の店なのだ。 イスタンブールなどもISによるテロ事件があっ…

ルーブル美術館と食とテロリスト(4)

ビール、生ガキ、魚のスープ。サン・ジェルマン・デ・プレのカフェだ。フランスではできるだけ単純な料理を食べることにしている。それでも日本の2倍ほどの値段だ。 以前、シェフが作ったという、テロにあったシュルリー・エブドの目と鼻の先のホテルで、コ…

ルーブル美術館と食とテロリスト(3)

6時間近く歩いてくたくたになった僕は早々、美術館を出て、行きつけのカフェでワインに生ガキで舌鼓をと思っていたが、左右の煌びやかなショーウィンドーの城壁に囲まれた長い長い迷路にとりこまれてしまった。人呼んでCARROUSEL DU LOUVRE カルーゼルデュル…

ルーブル美術館と食と同時多発テロ(2)

パリは朝の8時を過ぎても薄暗い。北緯48度と北海道よりも地球の上にあるせいだ。店もほとんどすべてしまっている。まるでオルランド大統領のいうように戦争前夜のようだ。先日日本で見た映画 ブリッジ・オブ・スパイを思わせる。映画は冷戦開始の時期を舞台…

ルーブル美術館と食とテロリスト(1)

ルーブルに行ってしまった。 ルーブル美術館のような大御所といっていい場所は、ぼくには敷居が高い。だから、ポンピドーセンター、ピカソ美術館、オルセー美術館などは訪れても、ここはいままで敬遠してきた。 若いころ、美術関係の仕事にほんの短期間従事…

ベネズエラ国政選挙―拳銃、機関銃、手榴弾使用禁止! 

ベネズエラで5回目の国政選挙である。今回は国会議員選挙。選挙前、選挙後の2、3日は、、拳銃、機関銃、手榴弾の所持と使用、防弾車の通行は禁止されている。ベネズエラでは珍しく、安全な日々となる。ぼくは自転車で各投票所を自転車で巡ってみた。強い陽…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(6)ー故湯川さんが設立したというPMCの背景は

湯川さんが設立? したという、PMCの会社のホームページ は、いつの間にかWeb siteから消えてしまった。そのトップページには後藤さんの家族(妻)からのメッセージ“人質事件で迷惑をかけたことと、その間の支援に対して感謝する、趣旨だったと思う”が掲載され…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(5)ー国益とは何か? 

今の時代が第一次世界大戦前夜と何やら似ており、しかも、イスラエルを建国した4列強のひとつが日本だったことを思い出させるのである。 もちろん、世界大戦があるというのではない。ヨーロッパはソ連崩壊以来、不安定で局地戦争がいぜん続いている。中東は…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(4)ーなぜイスラエルにすり寄るのか?

鬼子の再登場ー安倍政権の性質 現在の日本の外交は、安部首相の個人的な資質や願望を抜きにしては、考えられない。これまでの自民党、民主党の体たらくが鬼子を産みだしたのである。 安倍政権というのは、三島由紀夫や石原慎太郎の思想の延長にある。軍事的…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(3)ー孤立していたイスラエル

国家的人権侵害、犯罪 イスラエルがガザへ侵攻したのは、昨年、2014年7月から8月にかけてである。パレスチナ側の犠牲者は子供たちを含めて2000人を越えた。 その非道さに、ヨーロッパ、アメリカでさえ、イスラエル嫌悪の感情が芽生え、国連人権委員会は非難…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(2)

シャルリ・エブド襲撃の二日後の9日、ユダヤ食品専門スーパーマーケットが襲われ、人質4名(ユダヤ人)が死亡した。実行犯のアフメド・クリバリ(32)は、このとき空港近くの印刷会社に立てこもっていたクアシ兄弟の解放を求め、自ら「イスラム教スンニ派過…

シャルリ・エブド襲撃事件の現場を訪れる(1)

「ぼくはシャルリだ」とか「I am Kenjiだ」とかとてもいえない。いえるとしてもまったく違う意味である。 パリでのテロの犯人も犠牲者もイスラム国で殺害された日本人人質と同様に、イスラム国とともに、彼らが属する国家、あるいはその政権へ捧げられた貢物…

日本サッカー協会は旧陸海軍に瓜二つだ!

今回、日本VSコロンビア、USA VS ベルギー、オランダ VS コスタリカを現地で観戦した。そこで、あまりに日本チームのひどさ、醜さが目立ったので、以下反省と次回への提言を書くことにした。 日本サッカー協会とその周辺は、旧陸海軍と戦時下の日本に瓜…

ベネズエラで続く、史上最悪の汚い戦争

今、私はベネズエラにまた住んでいる。2月に来て以来、陸路の旅はかなり難しくなった。あちらこちら道路が閉鎖され、一部の場所では内戦が繰り広げられている。 コロンビア国境のタチラ州 州都サンクリストバルで火の手が上がった反政府運動は、瞬く間に全…

特急誘拐(2) 警官には気をつけろ!

通関会社の友人のフレディ・ギテーレスは2日無断で休んでいた。電話がやっと通じると、誘拐されたのだという。しかも警官に。 顛末はこうだ。 港近くのオフィスを夕刻に出た。パトカーの前にいる中年の男二人手招きをした。インテリジェンス関係の警官のよ…

元ミスベネズエラ殺害と特急誘拐(1)

エクアドルでは新婚旅行のカップルが緊急誘拐の手に落ち、夫が殺害。そして私がやはり死に損ねた、まさにそのハイウェイで元ミスベネズエラのモニカ・スピアさんとその元夫が強盗により殺害された。ご冥福をお祈りしたい。 私もまさにこの場所で、突然、車が…

お騒がせココ・バレンティン逮捕とその文化的背景ー夫婦のラインによる会話内容は?−

ちょうど、新潮45向けの原稿「ココ・バレンティンとキュラソー探訪記」がほぼ脱稿したときに、ココ・バレンティンが妻に対するDV容疑で、マイアミで逮捕というニュースが入ってきた。おかげで原稿の一部を変更せざるをえなくなった。 犬も食わないといわれ…

さらば国立!

国立で最後となる天皇杯、サンフレッチェ広島VS横浜マリナスに行ってきました。この球場は79年にマラドーナが世界に羽ばたいところです。たまたまそのとき、私はスペインチームの通訳。対日本戦は、互角でした。尾崎、水沼、風間が10代で出場していたころ…

ユネスコの無形文化遺産記念 カリブを席巻する寿司ブームの正体

今年は、ベネズエラ、ドイツ、ウィーン、チェコのブルーノ、イギリスのニューカッスルと世界のあちらこちらを訪れることができた。 70年代後半から留学、駐在、出張で外に出てきたが、株式の罫線のような日本のプレゼンスの波を肌身に感じてきた。 80年代は↑…

東京ドヤ街盛衰記 発刊

3日前に久しぶりに日本に帰国しました。最期は、ベネズエラ、キュラソーで、ココ・バレンティンのホームラン量産の秘密に肉薄。かれは16歳からベネズエラでプロ契約をし、その後、ベネズエラ、アメリカでまったく鳴かず飛ばずだった。その彼がなぜ、日本…